Thứ Tư, 23 tháng 4, 2014

ハノイ女性の忍者スタイル


最近、ハノイでは三日間連続にすご~~ィ暑くて、常に汗が吹き出ている様な感覚です。
気温は38度~42度くらいです。(›´_`‹ ) ↓

暑いほど、腕時計の跡もバッチリ残るくらい焼けてしまいました。どうしよう?(=.=)

ベトナムの女性達は暑さより、強い日差しと紫外線の方が大嫌いです。

女性の間では大分前から「美白」がブームになっていて、それが美女である条件と言われるようになっているらしいのです。

すなわち、白い肌は美人の条件です。

そのために、「一時の恥ずかしさより、永遠の白い肌を手に入れる。」という考え方がある女性達が多いです。

日差しから肌を守る涙ぐましい努力のベトナム人女性達の日焼け対策はなんでしょう知っていますか?

今日、女性用の夏ファッションを紹介します。それが忍者スタイルと言いますよ。







美意識の高い女性たちは日差しや紫外線から肌を守るため完全防備!








アラブ女性の伝統的な衣服みたいですね。

顔だけでなく、デコルテ(首から胸元にかけて)もしっかり覆われます。



数年前に日焼け防止ファッションが定番なので、男性用シャツを着用して、最大限の面積を覆うことで、強い日差しから身を守っていました。
バイクに乗る時は帽子、マスク、サングラス、長ズボン、ロング腕袋、手袋と完全防備で防御しています。




① つばの広い帽子は日差しから頭を守るマスクアイテムです。
今は、ヘルメット装着が義務付けられても、中に帽子を被る人が多いですよ。

② サングラスは直射日光や紫外線から目を守るものです。

③ マスクは目の下までカバーできるもので、排気ガス、空気中のほこりなどから肌、健康を守ります。

④ ロング腕袋は腕から指先までカバーするものです。

⑤ ロング靴下はサンダルを履く特に、足の指を守ります。

以上は昔女性の日焼け防止対策です。

2009年からファッショナブルに進化した日焼け防止服が話題を集めています。
色、素材、デザインなども変わってきました。日焼けの機能だけでなくて、帽子、マスク、手袋が一体化したオールインワンというパーカーは見た目とともに、機能もレベルアップしていました。

女性達は、出かける時に、日焼け防止パーカーを(袖が手の甲まであり、中指に引っかけられるようになっています。
襟はアゴまで覆うことができるように調節可能)をしっかり着ますよ。

日焼け防止パーカーの種類が三つあります。
パーカーの柄や、マスクのデザイン、色も様々があります。



丈の短いパーカーです。



普通のパーカーです。

一番丈のゆったり長いコート型です。全身をカバーできます。コートみたいね。

市場で1着25万ドン(約1000円)から買えます。今年の夏にはホットアイテムになっていますよ。


スカートで通勤する際に、照りつける日差しから素足を守ってくれるので大安心しますよ。ショートパンツやミニスカートなどを思い切り楽しめるようになります。

女性は、外に出かけたら、日中でこんな姿です。暑くても、しっかり着ますよ。

私は普通のパーカーを持っています。あまりの暑さに夕方には脱いでしまいましたが、他の女性達は、一日中頑張っていました。

全部は白い肌のためです。(^^)

でも、一番丈のゆったり長いパーカーは暑くて、移動に不便です。顔からフードまで全身しっかり覆われます。忍者みたいですね。

道で会ったら、友達でも気づかないと思います。

他は、不断の改善努力で、去年の夏から新しいデザインは発売されました。 それは、日焼け防止ロングスカートです。今年も流行していますよ。


バイクで通勤するオフィス勤めの女性の間ではミニスカートやショートパンツでバイクを運転することをためらってしまいました。
そんな心配を解消するために、有効な対策は日焼け防止ロングスカートです。

コットン製で裾は長いが、涼しく、汗を吸収する。暑さ防止に優れていて、着心地もいいです。

ロングスカートは多様な色とデザインがあり、市場で1着13万ドン(約520円)から売られています。

全身隙無し



絶対日焼けしたくない女性たちはバイクに乗る時、目以外はすべて隠すという…覆面状態です。(笑)

ちなみに、男性は、日焼け防止の対策取っているように見えないです。
日焼けパーカー屋さんを見ても、男性用がないようです。



やはり、ベトナム女性が肌への意識が強いですね。
日本人の皆さんはベトナムの夏に来られたら、パーカーを探して見てくださいね。

Thứ Ba, 22 tháng 4, 2014

「Hong Nhung歌手」




ホン・ニュン歌手はベトナムの国民的作曲家チン・コン・ソン(Trinh Cong Sonの楽曲の歌い手として知られています。甘く澄み透った高い声と、繊細な表現力の豊かさで圧倒的な人気を誇る「Diva」です。歳を経ても変わらない若々しい外見から、ビューティーとしても名高いです。

ベトナムポップス界で第一線の歌手として活躍しています。

ホン・ニュンはハノイで生まれました。そして、彼女が1歳になる前に、彼女の母によって捨てられ、彼女の祖母によって拾われました。彼女の父は自由奔放に暮らしており、決して不足した食料や衣服のためにたくさんのお金を持ってくることはありません。ホン・ニュンは良い声を持っていて、17時のときにホン・ニュンは最初のアルバムを製作し、21歳までに有名になり始めていました。

ホン・ニュンはホーチミン市へ移った。チン・コン・ソン作曲家に会って、新しいスタイルで彼の歌を歌い始めました。そして、ベトナムの音楽の中で影響を現し始めました。ホン・ニュンには「 Bng 」というあだ名があります。そして、チン・コン・ソンは Bng Bng ơi, Bng không là Bng, Thu Bng là Ngườ」の3曲を彼女に捧げました。
カン・リーはチン・コン・ソンの曲調をしゃがれた鳥の鳴き声で、傷付いた声で歌ったら、ホン・ニュンは実に落ち着き払った優しい歌声で、しっとりとした大人の歌唱を聞かせてくれます。
 
クアン・ジュンとホン・ニュン

ホン・ニュンとカン・リーのチン・コン・ソン作品集、どちらが好きかと言えば、個人的にやはりホン・ニュンの方が好きです。
ホン・ニュンの最新のアルバムは、チン・コン・ソンの作品集であります。クアン・ジュン歌手と共同して、新しいスタイルを表して、それだけにこのアルバムの方が耳ざわりが良いし、チン・コン・ソンの曲調がより生かされているのではないかと思っています。
子供の時からお父さんはよくホン・ニュンの歌を流れて、何回も聴いて、だんだん好きになってきました。ホン・ニュンが歌った作品は時間が過ぎてもいつまでも私の心の中に生きつづけています。
このアルバムの中で一番好きな曲は「CatBui」です。この曲を通じて、ホン・ニュンの綺麗な声を紹介させていただきます。
どうぞ御聴き下さいませ!


Chủ Nhật, 13 tháng 4, 2014

秋の季節



「秋の季節」

ハノイでは「春・夏・秋・冬」の四季があり、季節ごとに魅力がありますが、一番好きなのは秋です。
9月になると、秋の季節が本格的に感じられます。
空は青く、湖面も青い、町には秋の風があふれます。朝と夜が涼しくなります。日差しも黄色が強まり、景色がとても美しく見えます。呼吸がとてもしやすくなったような気がします。


ホアンキエム湖で秋風景

涼しく和やかな雰囲気に包まれている秋のせいで、何か懐かしさや少し寂しさを感じさせるでしょうか。
ハノイの秋 を象徴する花 はミルクの花です。街並にミルクの花が盛んに咲き始めました。満開時は、木の付近を通ると、かなり香りが漂ってきます。



穏やかな日差しの下、ミルクの花の香りが通りに漂い、ハノイを訪れる人々、誰も美しい自然を眺めるため、足を止めます。

もう一つ忘れられないのは、ハノイ秋の名産で、「若いお米」です。
1年で一番美味しいお米が夏秋に収穫されるお米です。若い米の色は、青緑色。成熟しきっていない新米です。とても柔らかいのが特徴で、いろいろな食べ物に使われます。


若いお米

ハスの葉っぱに包まれている若いお米、バナナと一緒に頂いたら、最高です。(^^)

また、ハノイの秋は美しい女性に例えられます。秋にはベトナムの美人の髪がより長くなり、涼しい風が頭を撫でます。 秋にハノイの美人を一度眺めると、必ず恋に落ちるでしょう。それに、秋も結婚シーズンです。


私の友達の結婚記念写真

学生達にとって、これも新年学期が始まる時点です。 この季節は新しい魅力がありますね。

空の青い色、水の色、風の音、花の香り、美人の姿、美味しい食べ物など合わせて、素晴らしい秋自然の絵を作ります。

釜戸の神様


家族と離れ暮らしている私にとっては旧正月に故郷へ帰り家族と一緒に楽しく過ごす時は一番幸せです。一年中忙しいけど暖かい釜のそばにいて家族の為に料理を作る瞬間は大事なことです。何となく、カマの姿を思うたびに嬉しくなります。
カマは都市より田舎によく使われています。時代の発展に従って、その代わりとなる電気コンロやガスコンロがますます使われているそうです。しかし、カマはベトナム人にとって大きい意味を持っています。
カマがベトナム人の人心地や習慣に重要な役割を果たしてきます。ベトナム人なら誰でも「Ông Táo/ Táo Quân (カマの神様)の伝説」を知らないかもしれません。
この物語では、昔、ティニー(Thị Nhi 妻)とチョンカオ(Trong Cao 夫)という二人の貧しい夫婦がいました。ある日二人はけんかをして、 ティニーが家を出ていきます。家を出た奥さんはファムラーン(Phạm Lang)という男性に出会え二人で結婚しました。
そのうち、Trọng Caoはもう怒っていなくて、後悔して、妻を探しに行きました。お金をかけすぎたので乞食になりました。そして、Thị Nhiの家を探して二人がお互いに気付きました。元夫婦は抱き合って喜びますが、丁度に夫ファムラーン(Pham Lang)が帰ってきました。夫が誤解するのではないかと恐れ、Thị NhiはTrọng Caoに庭に積んだわらに隠れるよう言いました。それを知らないファムラーンは、藁を燃やして畑の肥料にしようと火をつけました。疲れて眠っているTrọng Caoが燃死しました。Thị Nhiは藁から出てこないチョンカオを想い、妻は藁の中に飛び込みました。Phạm Langは愛する妻が火に飛び込むのを見てファムラーンも後を追って飛び込んでしまいました。三人の魂が天国に届き、皇帝は愛のために命を落とした三人の姿を見て、三人の情義を感動して、三人を(Táo Quân)「カマの神様」としました。カマの神様はは家内の炊事、家事、買い物の事を見守っていきます。各家庭の御勝手に祭られるようになりました。Táo Quânは、ティニーとチョンカオとファムラーンの三柱です。
ベトナム人は三人のカマ神様が家族に幸運をもたらすとして、家内の皆さんの善行によって幸福を受けると信じられています。神壇はよく台所の近くに置かれています。
毎年の旧暦の12月23日はカマの神様が天国に帰る日です。旧正月を迎える1週間前にあたり、この日が来ると、いよいよテトが間近だと感じられます。


家の台所に住みついているカマの神様が 家族 一年間 の諸事(人間の善悪の言動と行動)を報告する為、皇上帝に面会するため天に上がられる日と信じられています。カマの神様が鯉の上にのり天空に帰られると思われています。




その日にベトナムの全国で、家の祭壇に食べ物、お酒、果物などを供え、線香を焚き、紙で出来た服や帽子などを燃やして、カマの神様を天に送り出す儀式を行っている様子を見られました。


竈神の冠と靴
神様の乗り物として生きている鯉を用意して、祈りを捧げた後、鯉は川や池に戻すことになっています。


釜戸は単純に料理を作るための道具だけではなく、家族に関する深く意味を持ってます。家族の全員が冬の寒さの中に大晦日の竈を囲むんでバインチューンの鍋を預け話し合っている雰囲気は温かく幸せではないでしょうか。

ですから、釜戸は家族の囲むのこと、満足、幸せという意味を持っています。ベトナム人はカマの神様が一番大事なので主婦は家族の皆さんを世話し、絶対釜戸の火を消さないと思っています。

現在、電気コンロやガスコンロはどんどん釜戸に代わりとなってきますがベトナム人は釜戸の姿及び意味を忘れられないと思います。

ハノイで冬のおやつ



南部と違ってハノイには冬があります。

冬といっても最低気温は6度まで下がってしまいます。

そんなの日本の北部に比べたら大したことないが・・・。やはり寒い!

湿度があるせいか、寒く感じます。

まったくどうしようもないほど、寒くて湿っています。なのにベトナム人の皆さんは誰も暖房を付けないで、凍えるのは当たり前というものです。

そのハノイの冬に、安らぎをもたらしてくれるのが温かいおやつの数々です。
季節によって、おやつも豊富に取り揃えています。

寒くなるとあっちこっち街角で非常に増えるのが「Banh Troi Tau」の屋台です。ココナッツや黒ゴマ入りの餅に、しょうがの風味が効いた熱々のシロップをかけたデザートです。




「Banh Troi Tau」はおもち米から作られて、胃の腑に落ちてもまだ温かく感じられます。

アツアツしょうがのシロップを飲むと、身体の中から暖めてくれます。

甘いものが苦手という人には日本人にもお馴染みの肉まん、「Banh Bao」があります。日本で肉まんは餃子、肉まん、あんまんなどの種類がありますが、ハノイの肉まんは一つ種類しかありません。




鶉タマゴがごろんと入っていたり、お肉も入ってます。食べると、お肉の味が濃く感じます。味付けが濃いのではなく、お肉そのものの味が濃いです。それこそ、とてもおいしい肉まんです。

冬といえば、寒い風が来るだけではなく、お祖母さんの掛け声と共に焼きさつまいもの香りが各街角に広がってきます。




この時期には夕方になるとシクロの客席部分を荷台に改造したものに石炭窯を積み込んでいます。サツマイモ屋さんが掛け声と共にホクホクの状態で売りに来るのです。

街で弱火でゆっくり焼いたり、友達としゃべったり、石炭窯の上に手を出して暖かくなってきます。こんな気持ちはハノイの冬しかありません。

夕方、小腹の空いた時にこんなおやつはぴったりです。

冬のハノイになんか行くものか!

ハノイで寒さに震えてる人は、さぁ、アツアツおやつを食べに街に出ましょう!


ベトナム女性の伝統衣装


ベトナム女性の伝統衣装
内戦、侵略と戦乱の続く長いベトナムの歴史の中で、ベトナム民族は、外国の侵略勢力に対してアンチであることから、受け継がれてきた伝統的な文化の価値を守ります。

ベトナムは、中国の統治権の下に位置づけられた時代が1000年以上あり、フランスには100年近く支配されましたので、アオザイは、東洋と西洋双方の力強い文化流れの影響を強く受けたわけです。

古来から20世紀初頭まで中流階級の女性や、北部の農村に住む女性たちが着用していた日常衣服アオ・トゥ・タン(Ao tu than)は四枚の身頃の服です。

以下の写真のようにスカートの上に前の割れた長衣、中にVネックのブラウスです。

後ろ身頃も二つ見頃をはぎ合わせて作るので、「四つ身頃の服」と呼ばれています。前身頃はボタンがなく、ベールで結びます。



四つ身頃の服と平らな形の帽子

Vネックのブラウス(Yem)や平らな形の帽子(Non quai thao)がアオ・トゥ・タンとセットになります。四つ身頃の服を着ると、ベトナムの女性は柔らかくて、美しく見えます。

だが残念ながら、「 ao tu than 」 の姿は現代ではほとんど見ることができません。 次は、20世紀前半に西洋の衣服のデザインをアオザイに取り入れ、今のように女性の体のラインにピッタリしたものに改良したそうです。

それ以来、アオザイはこのような洗練を経て「国服」になり、女性のシンボルになりました。



画家カト・トゥオンさんのおかげで、アオ・トゥ・タンがアオザイに改良されました。
歴史の動きや西洋のファッショントレンドとともに、アオザイは様々な改良を経てきましたが、伝統的美しさは保たれています。

昔のアオザイが日常着の青色、未婚女性用の白、既婚女性用の紫があるのはベトナム人の習慣でしたが、現在は様々色があり、ズボンの色も既婚女性は黒、未婚の女性は白と決まっていたが現在は自由になります。

時代の発展とともに、当然、アオザイのデザイン、色と素材もどんどん変化しています。 ベトナムの女性は外国に行ったら、必ずアオザイを持って行きます。ベトナム女性のいるところに、アオザイがあると言われています。(^0^)
「パリやロンドンなどいくら遠いところに行っても、アオザイの姿を見ると、故郷がここにあると感じられますよ」という言葉が、ベトナムの有名な歌にあります。

確かに、アオザイは、ベトナム人の誇りある象徴的な衣装となりました。