Thứ Hai, 24 tháng 3, 2014

釜戸の神様


家族と離れ暮らしている私にとっては旧正月に故郷へ帰り家族と一緒に楽しく過ごす時は一番幸せです。一年中忙しいけど暖かい釜のそばにいて家族の為に料理を作る瞬間は大事なことです。何となく、カマの姿を思うたびに嬉しくなります。

カマは都市より田舎によく使われています。時代の発展に従って、その代わりとなる電気コンロやガスコンロがますます使われているそうです。しかし、カマはベトナム人にとって大きい意味を持っています。


カマがベトナム人の人心地や習慣に重要な役割を果たしてきます。ベトナム人なら誰でも「Ông Táo/ Táo Quân (カマの神様)の伝説」を知らないかもしれません。

この物語では、昔、ティニー(Thị Nhi 妻)とチョンカオ(Trong Cao 夫)という二人の貧しい夫婦がいました。ある日二人はけんかをして、 ティニーが家を出ていきます。家を出た奥さんはファムラーン(Phạm Lang)という男性に出会え二人で結婚しました。

そのうち、Trọng Caoはもう怒っていなくて、後悔して、妻を探しに行きました。お金をかけすぎたので乞食になりました。そして、Thị Nhiの家を探して二人がお互いに気付きました。元夫婦は抱き合って喜びますが、丁度に夫ファムラーン(Pham Lang)が帰ってきました。夫が誤解するのではないかと恐れ、Thị NhiはTrọng Caoに庭に積んだわらに隠れるよう言いました。それを知らないファムラーンは、藁を燃やして畑の肥料にしようと火をつけました。疲れて眠っているTrọng Caoが燃死しました。Thị Nhiは藁から出てこないチョンカオを想い、妻は藁の中に飛び込みました。Phạm Langは愛する妻が火に飛び込むのを見てファムラーンも後を追って飛び込んでしまいました。三人の魂が天国に届き、皇帝は愛のために命を落とした三人の姿を見て、三人の情義を感動して、三人を(Táo Quân)「カマの神様」としました。カマの神様はは家内の炊事、家事、買い物の事を見守っていきます。各家庭の御勝手に祭られるようになりました。Táo Quânは、ティニーとチョンカオとファムラーンの三柱です。

ベトナム人は三人のカマ神様が家族に幸運をもたらすとして、家内の皆さんの善行によって幸福を受けると信じられています。神壇はよく台所の近くに置かれています。

毎年の旧暦の12月23日はカマの神様が天国に帰る日です。旧正月を迎える1週間前にあたり、この日が来ると、いよいよテトが間近だと感じられます。

家の台所に住みついているカマの神様が 家族 一年間 の諸事(人間の善悪の言動と行動)を報告する為、皇上帝に面会するため天に上がられる日と信じられています。カマの神様が鯉の上にのり天空に帰られると思われています。


その日にベトナムの全国で、家の祭壇に食べ物、お酒、果物などを供え、線香を焚き、紙で出来た服や帽子などを燃やして、カマの神様を天に送り出す儀式を行っている様子を見られました。

竈神の冠と靴

神様の乗り物として生きている鯉を用意して、祈りを捧げた後、鯉は川や池に戻すことになっています。

釜戸は単純に料理を作るための道具だけではなく、家族に関する深く意味を持ってます。家族の全員が冬の寒さの中に大晦日の竈を囲むんでバインチューンの鍋を預け話し合っている雰囲気は温かく幸せではないでしょうか。

ですから、釜戸は家族の囲むのこと、満足、幸せという意味を持っています。ベトナム人はカマの神様が一番大事なので主婦は家族の皆さんを世話し、絶対釜戸の火を消さないと思っています。


現在、電気コンロやガスコンロはどんどん釜戸に代わりとなってきますがベトナム人は釜戸の姿及び意味を忘れられないと思います。

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